【意識レベル900以上の本質的な愛に至る前に片割の愛を見つける】
釣りタイトル!?
いえいえ。
本質的な愛に至れない理由は、自分の中に在る片割の愛を見極めることができていないからではないかと考えます。
たくさんの人の意識レベルを測定し考察してきました。
その半分の人が愛の課題を抱えていたりします。
そのため、たくさんの愛に向き合う機会をいただきました。
私も人生を通して、たくさんの愛を学んできたと思います。
※え!?私の話なんて聞きたくないって!?仕方ないな~
じゃぁ、またの機会に。
意識レベル、そのものは愛の度数と言ったり、愛を数値化したものと云われています。
あなたの心の中に愛が広がれば、愛の度数も、意識レベルも飛躍すると思います。
が、愛ってすごくあいまいですよね。
そして、愛について議論するとき、
冷ややかな目で見られたり、
嘲笑われるかもしれません。
「重たい話だ」
「メンヘラは迷惑だ」
「愛の話なんて得(お金)にもならない」
と揶揄しつつも、
愛に関する歌がヒットするのはよくわかりません。
私もふくめて、
私たちは、愛について話をする機会も少ないため、
愛が何たるかを知らないのかもしれませんね。
この記事のテーマは「愛」です。
私が、愛についての記事を書くなんてレアですよ~!!!!笑
最後まで読んでいただけたら幸いです。
▽▽▽意識レベルをもっと知りたい!!▽▽▽
カテゴリー1:意識レベルって【何?】
カテゴリー2:意識レベルを【考察する!!】
カテゴリー3:意識レベルを上げるための【方法は何?】
カテゴリー4:自分の【意識レベルを知りたい】
54%は「厳しい優しさ」と「包み込む優しさ」が課題
2024年4月~8月の間に意識レベルを測定した
107名の方の課題を表にしてみました。
課題:エゴ・歪んだ思い込み・執着・感情の起伏が激しくなりやすい意識
結果は、
半分以上の人が愛の領域(500と540)で課題となっています。
次いで、意識レベル600台の覚醒・自己実現が課題になっている人、損得勘定が強くなる意識レベル400が課題の人となっています。
意識レベル400~600までの領域で、全体の大半をしてめていました。
※これは、
課題やエゴ、トラブルになっている意識レベルの話です。
カテゴリー別に課題として分けています。
意識レベル50:
絶望
意識レベル150:
怒り
意識レベル200:
勇気・肯定
意識レベル250:
中立
意識レベル310:
意欲・希望
意識レベル350:
受容・許し
意識レベル400:
理性・理解
意識レベル500:
条件付きの愛
意識レベル540:
無条件の愛
意識レベル600:
覚醒・自己実現
意識レベル700:
チャネリングを活用した自己実現
という感じです。
ここに、人生を変えるような課題がありますよ~、ということです。
そして、今回、意識レベルを測定させていただいた107名が持つ課題は【愛の領域】ということがわかります。
表の山の頂点です。
愛の領域は意識レベル500(条件付きの愛)と意識レベル540(無条件の愛)にまたがっています。
意識レベル500は30%、
意識レベル540は24%でした。
愛に関する課題の、総数はなんと!!!
54%!!!
半分の人が愛に課題があるということがわかりました。
スピリチュアルに傾倒する人々でさえ愛に満たされていないということがわかります。
あまり大きな声では言えませんが…
「実は、スピリチュアルを学んでも愛は満たされない」ということかもしれません。
→オイッ。字、強調しすぎ!!
というよりも、愛に満たされず、愛を探し救われたいという気持ちがあるからこそスピリチュアルを学ぶのかもしれません。
もしくは、
スピリチュアルを学ぶ人の目的が「愛」ではなく、
「悟りや覚醒、アセンション」というところにあるのかもしれませんね。
愛も、見つかると良いですね。
以下、私が愛について感じることを簡単に説明したいと思います。
ひとつの意見と思って、参考になれれば幸いです。
愛の領域が意識レベルの中盤にある理由
きっと私たちは愛について誤解をしているのかもしれません。
意識レベルから見た条件付きの愛というのは、無条件の愛よりも数値が低くあります。
そして、無条件の愛は、意識レベルのランク(0~1000)でいうと、ちょうど間くらいの領域です。
フツーなら、
「無条件の愛がこんなに、低いなら、意識レベル600とかってもっとすごいじゃん!!!!!」
ってなりますよね。
いやいや、たぶん、ホーキンズ博士が考える
無条件の愛は、私たちが考えるような本質的な愛ではない気がします。
二つの愛についてこう考えているのではないかと感じています。
・無条件の愛は、片割の愛
・条件付きの愛も、片割の愛
・ふたつの意識を持つことで、本質的な愛が完成する
という感じです。
私たちが考える崇高で本質的な愛と、ホーキンズ博士が考える無条件の愛は異なるのではないかと感じています。
たぶん、概念的にはホーキンズ博士の方が、〇〇の愛という名称に対して具体的に愛を表現できているのではないかと考えます。
言葉に対する私の感覚としては、表現が「一文字」の方がより真理に近い気がしています。
「〇〇の△△」ではなく「△」というようなニュアンスです。
たとえば、
「山の神」ではなく「神」が真理に近いですよね。
「無条件(条件付き)の愛」ではなく「愛」が真理に近いですよね。
同じように、愛の中の無条件という領域が「無条件の愛」というだけです。
果物のみかんの皮を剥いて、
「このひと房(ふさ)は、ひで汰さんのみかん」
「このひと房は、◯◯さんのみかん」
このひと房は、…
という感じで、みかんが分割された状態です。
同じみかんではありますが、完全な一つのみかんではないですよね。
空、禅、善、悪、無、有なども全て一字の中に膨大な情報が詰まっています。
つまり、
「愛」をふたつに分けたのが無条件の愛と条件付きの愛ではないかと考えます。
※一応、言葉の揚げ足を取るつもりは毛頭ありませんので、今後も自由に愛の表現をしてくださいませ。だいたい、皆さまの表現もニュアンスで十分伝わっていますので。
そして、
無条件の愛の別名は母性の愛です。
逆に、
条件付きの愛の別名は父性の愛となります。
意識レベル500の父性の愛は「厳しい優しさ」
私が考える父性の愛ってこんな感じです。
社会の中で強くたくましく、しなやかに生きる力を育む愛です。
《父性の愛を育む社会の中の関係》
・師弟関係
・縦社会の中の上下関係(先輩・後輩)
・熱い友情
《父性の愛》
・親子の躾
・スポ根
・情熱、熱血
・仲間意識
・連帯感、連帯責任
・厳しい優しさ
・たなごころ(力で受け止め手中に収める)
など
ここが課題になると、言いたいことも言えなかったり、自分の意見を抑えつけたりします。
自分の中に立ち向かう強さや弱さに向き合う強さが課題となります。もしくは、過剰になりすぎると、パワハラやモラハラ傾向、執拗ないじめをともなう上下関係に発展するかもしれません(自分に対する厳しさと甘さをコントロールできていないから)。
また、父性の愛が乏しく、相対的に母性の愛が強すぎると過保護、過剰な干渉、行き過ぎた甘やかしになったりします。
自分の子どもが悪いことをしても、叱ることができない親と言うのはここが課題になっている"かも”しれません。
自分の感情や欲、エゴをコントロールする力である自制心は、自分を律し精神的に強くさせてくれます。
「ありのまま」を「欲とエゴと快楽のまま」と誤解してしまい、律することができないでいませんか?
自分や他者に対する、厳しさを見失うと「片割の愛」になってしまいます。
外に探しに出ても見当たりません。
自分の心の中にしかありません。
これは、私が見る限りの偏見でもありますのでご理解のほどよろしくお願いいたします。
ちなみに、男性性は
【分析、評価、判断、論理、攻撃、支配、決断力、積極性など】があるようです。
この父性の愛を課題に持つ人が最も多いということです。
「昔よりも、子どもを注意できる大人が減った」というのは何かしらの意味があるかもしれませんね。
※ただし、意識レベル500は、全体の中の折り返しです。
意識レベル540の母性の愛は「包み込む優しさ」
母性の愛は何となく理解できるかと思います。
とか言って、省略しようとする、私(笑)
《母性の愛》
・まごころ
・包容力
・ありのままを認め受け入れる力
・肯定するような優しさ
・気遣う心
・配慮する思いやり
母性の愛が行き過ぎると、「小さなお節介と大きなお世話」になってしまいます。
良かれと思うことも、裏目に出たりします。
子育ての中で、シングルマザー(ファザー)、ワンオペ状態というのは、社会的に強くあり自立するよう強く意識するため母性の愛から父性の愛へと傾き、厳しい親になったりします。
※女性=母性の愛ということではありません。同じく男性=父性の愛ということでもありません。
女性性は
【受容、包容力、共有、調和、安定、直感、感覚、感性、柔軟性など】があるようです。
この二つの愛のバランスが取れた状態が本質的な愛であり、TPOにあわせて色んな愛を引き出すことができるのだと考えます。
愛のバリエーションということかもしれませんね。
もちろん、一つ、片割でも構いません。悪いことではありません。
そんな時は、パートナーと補填し合い、補完し合うことが大切かもしれません。
ふたつの愛が合わさり『本質的な愛』に至る
・二つで一つの愛
・本質的な愛、第3の愛
・ニコイチの愛
が完成されます。
この次元の意識レベルは個人的には800後半、900以上、1000に近い愛だと思っています。
まだ、確証はありません。
たぶん、私たちがイメージするような崇高な愛というのはこの領域ではないかと感じています。
そのためには、相互理解、コミュニケーションが大切かもしれませんね。
ヒントとして余談①と②が参考になれれば幸いです。
余談①【すごく大切】あなたとパートナーの愛のズレ
あなたが求めている愛の形(表現)と
あなたのパートナーがあなたに与える愛の形(表現)は
ズレているかもしれません。
逆に、あなたが与えている愛の形と
パートナーが求めている愛の形はまったく違うかもしれません。
愛し合っているにも関わらず、すれ違いが起こることは、
お互いの愛の認識が異なるからではないかと考えています。
愛されているにも関わらず、愛されていないと勘違いしている人も多いご時世です。
空気のようにソバにいるだけが「愛」という人もいます。
助言も小言もなにもいらない、それが「愛」という人もいます。
デレデレしたり、あからさまな愛情表現だけが「愛」という人もいます。
私には何が正解かは判断しかねます。
愛は、人によって異なるかもしれません。
そして、愛の形が違う者同士が、世帯を持ち家族になるから、すれ違うのも当然です。
ボタンの掛け違いではなく、
ふたつの紐のように、結っても何度も解けます。
愛でいることに、終わりはなく、何度も結び続けるリボンのようなものだと思います。
余談②片割の愛は外側(ツインレイ)にはなく内側にある
片割の愛、片割の魂と聞くと想像してしまうのが、ツインレイです。
ツインレイやツインソウルという言葉を耳にしたりします。
双子の魂というところでしょうか。
ツインレイかもしれないけど、近づくとバチバチになるという相談もかなりあります。
お相手のツインレイとバチバチになる前に、自分の中に在る「愛の課題」を見つけて乗り越えることもひとつの手です。
ツインレイは合わせ鏡のようになるため、自分の中にある課題をもろに映し出してしまいます。
なので、課題を乗り越えて安心して、向き合ってはいかがでしょうか?
まとめ
・意識レベルのマップで記載されている500と540は片割の愛
・父性の愛と母性の愛はニコイチとなり本質的な「愛」となる
・厳しい優しさが課題になっている人が多い
・人生経験や人間関係を通して愛が育まれる
5冊目の
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